山田音羽子をめぐる旅ー4

 17 Jul 2011 08:57:50 am

音羽子はユーモアのセンスも持ち合わせていました。

山形の家を出る時に、家の貧乏神に
「お別れの形見にこの家をあげますから末永く住んで下さい」
と挨拶した所、貧乏神が
「館林の家にも、私の親族が居るから」と返した、と書かれています。

どうやらその貧乏神さんは
未だに我が家にいるようです・・・・

絵を愛し詩を愛し、動物が好きでユーモアのある音羽子は
多分現代を生きていたとしても、とても魅力的な女性だった事でしょう。

しかし、江戸時代、ガスも水道も電子レンジも無い時代
9人もの子供を生み育て、過酷な道中のさなか
絵を残すような事はとても私にはまねできません。

この道中記は音羽子52歳の時の物だそうです


最後に色彩し掛け軸になっている絵を紹介します。
この絵は我が家ではなく、山形のある家で所蔵されています。

多分山形を離れる時に知り合いに形見に贈った絵なのでしょうね。
季節は冬・・・雪が降っているのに足袋をはいていません・・・・。
江戸時代の過酷な生活が垣間見えます・・・・ ・・・・

カテゴリー : General Posted By : tai-chi |