館林と言えば・・・3
18 Apr 2009 08:17:13 pm
館林には館林城と言うお城があり
秋元様と言う大名が治めていました。
「城沼」は館林城のお堀のような役割を
していたため、「城沼」と呼ばれるようになったそうです。
わが山田家は館林城の藩主秋元様に使えていました 。
武士だった訳です。
まあ、今のサラリーマンか公務員みたいなもんですね 。
江戸時代が終わり明治の初期、廃藩となり
すべての武士は失業となりました。
今の不景気よりひどかったと思います 。
その時、家のひいひい爺様にあたる
山田烏兎二は秋元家より、失業した武士達の生活支援のため、
城沼の水産事業を言い使ったのでありました。
しかし、事業は失敗の連続、
(ほとんど「プロジェクトX」の世界です)
烏兎二は事業の完成を見ず、失意のうちに他界したのでした。
事業は頓挫し、その努力と苦労を今に伝える物は
「城沼」のほとりに有る小さな石碑くらいです。
私の父は志半ばにして急死した烏兎二の努力を
なんとか後世に残そうと一昨年前その記録を本にしたのでした。
私財を投げ打って困窮する武士達の生活を
なんとか助けようとした人間が居た事の
記録を残したかったのでしょうね。
私達の歴史や今の生活は人知れず不遇の死を遂げた
数々の人たちの上に成り立っているのです。
・・・・でも・・・。
私に言わせて貰えば
「山田家の男どもはつめが甘い!!!!」
父の兄弟達もみんな良い人なのですが
「事業に成功して財を成す」タイプではありません。
(何しろ山田繊維は儲かっていない!)
映画「寅さん」に出てくるような人ばかりです。
だから多分・・烏兎二じいさんも・・
あんまり事業に長けた人ではなかったんだろうなぁ・・・
なんて思います。(ごめんねじいちゃん)
これが父の書いた本です。
はっきり言って文章が硬くてぜんぜん面白く有りません!
でも興味の有る方はメールいただければお売りします。
¥2300円、送料は無しです〜。
カテゴリー : General Posted By : tai-chi |